K.G.R.会報・MONTAGNE3-1( 1- 12p巻頭言 高知登攀史)

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    K.G.R.会報・MONTAGNE3
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    吹井にて
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    涸沢にて
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    K.G.R.会報・MONTAGNE3-2(12-25p穂高)

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      18才の時屏風東壁雲稜と東稜ルートを登って以来の中央山行で、冬の屏風である。
      この穂高屏風岩東壁は深く反省させられる山行だった。
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      1972年12月31日、高知大阪特急フェリーで大阪南湾に朝6時に着き、新島々に車で13時45分着
      14時30分タクシーに乗換え湯川発電所まで15時5分そこから歩きで坂巻温泉を通過して中の湯温泉に17時30分釜トンネルを抜けて木村小屋に20時25分、バスターミナル横でツエルトビバーク20時45分。
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      1973年1月1日9時出発、徳澤を11時5分通過して横尾の岩小屋に13時50分着。
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      屏風岩を見上げる。
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      2日起床1時30分天気が悪いので様子を見る。12時15分出発してT4取り付きに13時10分、登攀装備を付けて14時アタック、T4の下でビバーク18時。
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      東稜を見る。
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      3日起床6時、8時出発雲稜へ仕切り直し9時10分アタック。23時30分終了点。
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      4日消灯3時30分、起床6時30分、出発8時10分、屏風の頭を通り池に13時40分、岩小屋に16時15分、横尾に16時45分、往復して再度横尾に17時10分、消灯22時30分。
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      5日起床6時30分、9時横尾発、徳澤10時15分、明神11時35分、上高地12時30分、木村小屋13時5分(赤カブ漬けとラーメン)、中の湯15時40分泊。

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      4日のビバーク地、朝3時30分に泊まり6時30分まで仮眠。
        ↓ =へこまん(製作・武田鉄工所)
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      ようやく晴れた、屏風は入山日と違い真っ白だった。
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      河童橋で
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      この頃は木村小屋へ登山届を出していたのかな?
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      6日、中の湯8時30分発、湯川10時25分、沢渡11時45分、〜一路高知へ


      K.G.R.会報・MONTAGNE3-3( 25- 37P穂高.屏風.北尾根.滝谷)

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        岩小屋の前で左から川越、村田、入交、西村
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        T4取り付きにて西村、村田、清岡、川越
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        蒼稜ルートの取付きでIriさん。
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        本庄山の会の方
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        蒼稜ルート左を登る私、右は雲稜ルートを登る本庄山の会のパーティ。
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        扇岩での本庄山の会、埼玉県の本庄市の登山クラブ。
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        屏風の頭から見る槍ヶ岳。
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        屏風の頭付近でのビバーク地にてお疲れのようす。
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        北尾根を登り前穂東壁へと向かう。
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        前穂北尾根八峰での休憩
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        北尾根を辿るYo=ちゃん。
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        八峰を見る。
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        5・6のコルにツエルトを張る。
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        翌日は雨で村田と川越は13時まで天候回復を待つが、悪化の一途で、残念ながら上部へ行くのを諦めて上高地へ降りてきた。
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        ジャンダルム飛騨尾根
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        入山日、大正池を回り込む、雪は昨年より多かったが、天気が安定しているせいかデブリは少なかった。
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        河童橋
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        当時の装備表、鷲尾山岳会や高知市役所山岳部からも装備をお借りしている。
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        慶応尾根入り口で休憩
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        八峰ベースにて、槍ヶ岳と鷲尾山岳会からお借りした冬テン。
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        奥穂高、涸沢岳、北穂高と前穂高のシルエット
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        五峰の後続パーティを見る
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        屏風の頭、八峰、七峰、六峰、五峰と四峰から見る。
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        三峰への上り。
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        四峰から奥穂高を見る。
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        三峰登りの途中にて。
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        3.4のコルから奥又白側を見る。これを下れば、右岩稜、Dフェースの取り付きへ。
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        1月2日朝の三峰
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        八峰には沢山のテントが見える。
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        八峰より慶応尾根を下山する。
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        新村橋
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        上高地帝国ホテル
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        ヒマラヤへの思い、極地法の実施、そして北アルプスでの個々の登攀へとつながって行った。

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        K.G.R.会報・MONTAGNE3-4(37−42P剣岳.夏)

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          K.G.R.会報 
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          K.G.R.会報・MONTAGNE3-5( 42- 46p奥鐘山西壁京都ルート)

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            1974年4月30日〜5月4日の記録
            宇奈月で除雪人夫用トロッコに無理やり乗せてもらい鐘釣で下車、そこから欅平まで歩き、運よく上部坑道に入ることができた。ヘッチンを点け30分程で志合谷への横穴に進みトンネル出口に着く。
            対岸には奥鐘山西壁が広がっていた。
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            志合谷へ下るルートをT教官が探している。教官のいるあたりから1ピッチの懸垂下降で谷へ降りた。谷の中は全ての滝が豪雪で埋まり、スムースに黒部川まで下れた。
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            壁を登っている時に対岸の谷を写したのだが、志合谷だろうか?
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            岩小屋へ着くと先客がいた。
            挨拶すると、今年の正月に前穂北尾根でお会いした関西登高会の砂子さんパーティだった。
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            見上げる壁は濡れて光っている。
            砂子さん達は昨夜からの雨の為、第三ハングの下から退却されたとの事だった。
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            一昨日、砂子さん達が1日がかりで復旧されたチロリアンを使わせてもらった。
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            5月2日2時起床、チロリアンを渡り、4時40分登攀を開始、第一か第二ハングのT教官。
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            6ピッチ目三角岩の手前だと思う。
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            砂子さん達が岩小屋から出てきた、手を振って挨拶をする。第三ハング手前のピッチだと思う。
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            白ザイルでザックを釣り上げるので、赤をダブルにして20mのピッチで第四ハングを登る。
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            18時過ぎに壁を抜ける。
            最後のオーバーハングを乗越してすぐの所に枯葉を敷き詰めてビバークサイトを造った。
            水不足ではあったが風もない穏やかな夜を過ごした。
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            当時の先端装備?フェザーの半シュラフとフェザーの羽毛のチョッキ、シュラフカバーである。P1200414.jpg

            山頂近くで残雪をかじり水分補給をするT教官。
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            頂上に着いたのでもう下るだけと”ピースサイン”
            しかしである!このピースサインは早すぎた。本当の困難はここから始まった。
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            頂上付近から残雪の剣岳を見る。
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            頂上から南越えを通り、林道に出てからピッケルアイゼンを駆使して、さらに途中のトンネルでもう一泊してやっと欅平へ着きました。
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            欅平から鐘釣まで歩き、動き出したトロッコ電車に乗り込み、「ウーム.マンダム!」
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            奥鐘へ持っていったスチュバイのピッケル
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            振り返るこの登攀は38年も前の事で、細かには覚えていないが、頂上へ抜けでた達成感と欅平へ着いた安堵感がさわやかな記憶として残っている。
            その時代の日本で一番大きく困難な岩壁として紹介されていた奥鐘山西壁、それまで岩壁部分を1日で登り切った記録を見なかった。それを1日で登り切ることができた満足感もあった。
            昨年見た奥鐘山は我々が登った時代よりはるかにブッシュが増えていた。
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            K.G.R.会報・MONTAGNE3-6( 46- 57p奥鐘山南西壁高知ルート開拓)

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              1974年に奥鐘山南西壁を開拓した記録である。 
              この写真は2011年に水平歩道から撮ったものであるが、西壁.南西壁が河原からほぼ全て見える。
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              一日目のビバーク、上のテラスからスタートするT教官、確保はIriさん。
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              下の一人用テラス 写真右下のポリタンクがみえますか、荷揚げした10リットルのポリタンクです。
              皆トレパンで登山靴で登っている時代でした。
              ザックはカリマー、ザイルはエーデルリット、ヘルメットはジョーブラウン、ハーネスはウイランス。Iriさんのヘルメットはカシンだ。
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              かなり上部だと思う、T教官がトップ、確保する腕はIriさん。
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              K.G.R.会報・MONTAGNE3-7(58−63p竜ヶ嶽)

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                徳島県三好市西祖谷村にある竜ヶ嶽の記録
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                1973年6月24日、このすぐ右手上にある星が見える小屋(ホテル竜ヶ嶽)に前泊。
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                ゴリラの頭までの下部壁1ピッチ目
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                1974年1月20日晴・21日この日は早朝からの雨で懸垂下降5pで11時45分に下りてきた。
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                ファモアの下降機 ゴアテックスのカッパなど無い時代だ。
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                20日の到達点とビバークサイト
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                ビバークテラスから
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                ビバークテラスから1〜2ピッチ
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                3月17日完登
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                1974年4月8日奥鐘山京都ルートへの訓練で正面壁を登った。
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                KFC川田さんとT教官と私 ゴリラの頭までKGRルートを辿り右の肩へ抜けて下山。
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                上部岩壁は1974年6月2日山崎、小松、村田で初登攀した。
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                奥鐘山京都ルートを1日で抜け、意気揚々と帰ってきてすぐの竜ヶ嶽正面壁上部開拓であった。
                馬力も技術もかなりのレベルであり鼻息も荒かったようすが、ヤマケイの文章に表現されている。今、思えばお恥ずかしい限りである。
                この頃と今も様子が変わらないのはP3だが、正面壁はかなりのブッシュに覆われていた。
                今は誰も登りもしない龍ヶ嶽だ。
                1973年のP3か1974年の暮れ、ドームを登った時なのか記憶は定かではないが、はるか下の道路を黒い動物が歩いているのを見た。下山して雪の上に残されていた足跡をみると、それは熊のものだった。残念ながら写真を撮っていない。


                K.G.R会報・MONTAGNE3-8( 63p- 65p石鎚山北壁直上ルート) 

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                  1972年9月24日、T教官とハーケン1本ボルト6本を打ちハングの上まで開拓。
                  1972年9月29日、Soチャンとボルト8本打ち小ハングを越え、下降、ダイレクトを登る。
                  1972年10月15日、T教官とボルト6本ハーケン5本で頂上へ抜ける。

                  ダイレクトルートを登る広島山の会。
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                  ダイレクト1ピッチ目テラスから下の眺め、T教官が登り始めに見える。
                  私はジョッキーの登山靴を履いている。
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                  ダイレクト1ピッチ目テラスにて長い髪のT教官。
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                  テラスすぐ上のオーバーハング、ニッカーズボンで登山靴、この頃は皆タバコを吸っていた。
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                  登攀終了、T教官とパパさんそしてKFCの若い女性クライマー。
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                  サポートしてくれたパパさん、頂上小屋?どこの小屋だろう?
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                  水色の紫岳会ダイレクトルート1ピッチ目を3人パーティが登っている。
                  黄色が直上ルートである。
                  このルートはデレッテシマ時代のルートであり、ボルトが古くなれば誰も登らなくなるのは当然だろう。
                  北壁で一番大きく直に出ているハングを真下から打たれたボルトに乗って越して行くルートだ。
                  近年は誰も登っていないので行ってみようと思っている。
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                  1972年10月にT教官と開拓したルートを一年後にお宮と登った記録である。
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                  これだけの雪が積もっていて冬景色だが冬季登攀ではない。下山日11月26日の写真。
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                  11月23日19時30分高知発、21時30分面河発、24日1時30分愛大小屋着積雪10〜20センチ。
                  11月24日10時愛大小屋発、(雪)昨晩からの雪で深い所では30センチ程か。12時40分三の鎖元でツエルトを張る。15時30分三の鎖小屋へ入る。お宮はいびきがすごい。
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                  11月25日、6時00分に起きたが風が強く雪も舞っていたので待機、風が弱まった10時00分出発トラバースでザイルを出し1ルンゼ上部はスタカットで通過する。12時30分取付き、登攀開始。
                  直上ルートは紫岳会ダイレクトルート1ピッチ目テラス上の約2mのハングを越して行くバリエーションだ。
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                  小雪が舞う何も見えない頂上に15時45分に抜ける。11月25日の登攀であるので、冬季でも積雪期登攀でもない、只バリエーション直上ルート第2登である。
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                  稜線をコンテニアスで弥山まで行く。
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                  11月26日晴れ7時45分三の鎖元小屋発、関門13時00分着
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                  登攀する冬装備はアイゼン一組、ピッケル無し、アイスハーケン2本でヤッケも無く雨具でおまけに下はビニールのズボン、登攀装備を付けて空身で登っている。
                  お宮が写してくれた写真であるのでお宮さんは写ってないがザックは持っていたのだろうか?
                  またお宮さんは雪の付いた壁をアイゼン無しでよく登る気になったし、登ったものだ。
                  若いころの登攀は無知と言うか無謀と言うかすごいと言うか、今の私ならこの装備では100%登らない。




                  K.G.R.会報・MONTAGNE3-9(65-73p石鎚山北壁3ルンゼ第二幕岩)

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                    K.G.R.会報、石鎚山北壁3ルンゼ 
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                    初登攀後翌年5月に雨の中三ルンゼクラックルートを登った時の写真。
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                    大広間にて、これの奥の壁を登ろうと来たが、条件が悪いのでここまでとなった。
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                    雨が降っているが、和田さんにお願いして二人で北壁ダイレクトへとつなげてを登った。
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                    1974年5月29日に3ルンゼ右岩壁を小松.山崎と登った時の写真。
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                    靴下をしぼるのポーズ
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                    中ノ沢にて
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                    写真の真ん中あたりが第二幕岩ガビルート取り付だと思う。
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                    1P出だしのハング
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                    終了点
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                    K.G.R.会報・MONTAGNE3-10(73-82p西ノ冠岳西壁)

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                      1973年12月2日朝、高瀑駐車場出発時の写真。
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                      西冠沢
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                      ドーム下
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                      12月3日、高瀑駐車場下山時。
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                      石鎚山北壁ダイレクトルート登攀
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                      西冠西壁左ルンゼ
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                      K.G.R.キャンプサイト
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                      左から私.西村.川越.和田.入交.撮影は山崎
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                      西ノ冠岳東のコルから石鎚山
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