K.G.R.会報・MONTAGNE3-1( 1- 12p巻頭言 高知登攀史)
吹井にて
涸沢にて
- 2013.05.05 Sunday
- MONTAGNE NO3 1974NOVE
- 18:07
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- by K.G.R.OB
18才の時屏風東壁雲稜と東稜ルートを登って以来の中央山行で、冬の屏風である。
この穂高屏風岩東壁は深く反省させられる山行だった。
1972年12月31日、高知大阪特急フェリーで大阪南湾に朝6時に着き、新島々に車で13時45分着
14時30分タクシーに乗換え湯川発電所まで15時5分そこから歩きで坂巻温泉を通過して中の湯温泉に17時30分釜トンネルを抜けて木村小屋に20時25分、バスターミナル横でツエルトビバーク20時45分。
1973年1月1日9時出発、徳澤を11時5分通過して横尾の岩小屋に13時50分着。
屏風岩を見上げる。
2日起床1時30分天気が悪いので様子を見る。12時15分出発してT4取り付きに13時10分、登攀装備を付けて14時アタック、T4の下でビバーク18時。
東稜を見る。
3日起床6時、8時出発雲稜へ仕切り直し9時10分アタック。23時30分終了点。
4日消灯3時30分、起床6時30分、出発8時10分、屏風の頭を通り池に13時40分、岩小屋に16時15分、横尾に16時45分、往復して再度横尾に17時10分、消灯22時30分。
5日起床6時30分、9時横尾発、徳澤10時15分、明神11時35分、上高地12時30分、木村小屋13時5分(赤カブ漬けとラーメン)、中の湯15時40分泊。
4日のビバーク地、朝3時30分に泊まり6時30分まで仮眠。
↓ =へこまん(製作・武田鉄工所)
ようやく晴れた、屏風は入山日と違い真っ白だった。
河童橋で
この頃は木村小屋へ登山届を出していたのかな?
6日、中の湯8時30分発、湯川10時25分、沢渡11時45分、〜一路高知へ
徳島県三好市西祖谷村にある竜ヶ嶽の記録
1973年6月24日、このすぐ右手上にある星が見える小屋(ホテル竜ヶ嶽)に前泊。
ゴリラの頭までの下部壁1ピッチ目
3ピッチ目
1974年1月20日晴・21日この日は早朝からの雨で懸垂下降5pで11時45分に下りてきた。
ファモアの下降機 ゴアテックスのカッパなど無い時代だ。
20日の到達点とビバークサイト
ビバークテラスから
ビバークテラスから1〜2ピッチ
3月17日完登
1974年4月8日奥鐘山京都ルートへの訓練で正面壁を登った。
KFC川田さんとT教官と私 ゴリラの頭までKGRルートを辿り右の肩へ抜けて下山。
上部岩壁は1974年6月2日山崎、小松、村田で初登攀した。
奥鐘山京都ルートを1日で抜け、意気揚々と帰ってきてすぐの竜ヶ嶽正面壁上部開拓であった。
馬力も技術もかなりのレベルであり鼻息も荒かったようすが、ヤマケイの文章に表現されている。今、思えばお恥ずかしい限りである。
この頃と今も様子が変わらないのはP3だが、正面壁はかなりのブッシュに覆われていた。
今は誰も登りもしない龍ヶ嶽だ。
1973年のP3か1974年の暮れ、ドームを登った時なのか記憶は定かではないが、はるか下の道路を黒い動物が歩いているのを見た。下山して雪の上に残されていた足跡をみると、それは熊のものだった。残念ながら写真を撮っていない。