カンチェンジュンガ トレック
2014年11月1〜15日、カンチェンジュンガトレッキング、ゴーチャ峠4940mから世界第三位の高峰を望み、名も無き山や岩峰を眺めて楽しみたいと思い参加した。
11月1日、高知を7時55分に出て10時30分に関空に着く、インド航空で13時25分に出発し香港を経由してデリーに21時35分に着いた。香港では清掃作業員のザッとした仕事ぶりに戸惑う。香港からは大勢のインドの方が乗り込まれて満席となり、体も大きれば声も大きい彼らとインド料理の機内食に異国情緒を堪能する。デリー空港に旅行社の迎えが来ており、小型バスでホテルへ向かう。ホテルの冷蔵庫は暖房入りで使用禁止だった。
11月2日
朝、デリー空港に行くとバグドグラへの飛行機は3時間遅れとのことである。それぞれ空港を散策する。商売柄私は自販機を見て回る。空港の自販機では280mlペプシが60ルピー(110円程)で販売されていた。
デリーを13時55分に飛び立ちバグドグラに向かう。機内からはヒマラヤ山脈が見えていた。大きく見える山は左からガウリシャンカ―ル、チュー・オユー、ローツエとエベレストは重なっているようで右端がマカルーだろう。
専属で雇った4WD車は、バグドグラの街並みをにぎやかに警笛を響かせ、曲芸のようなドライブテクニックを披露してガントクへと向かった。途中でトイレ休憩に立ち寄った店では、コカコーラー180ml瓶は18ルピー(35円弱)で売られてた。
巻き上げた埃でマスクか黄色くなるころ、シッキムに入った。
11月3日、かってのシッキム王国の都ガントク、ロイヤルプラザホテルの部屋から見る景色は、空気が透きとおっていて遠くまではっきりと見え、とてもさわやかだ。
9時にガントクを出てヨクサムに向かう。狭い道での対向車とのすれちがいは、譲り合いの精神はまったく無いように思える。全車只々突っ込んで行く。しかし、しばらくするとギリギリで通りぬけて行くのだから、どこかで譲り合っているようだ。
途中の町で食堂に入り昼食をとる。でてきたのはスープに焼きソバ、チャーハン、餃子であった。
11月4日、ヨクサムの朝、今日からトレッキングである。部屋から見える白い山はカブルーだろうか?
レッドパレスホテルと4WD専用車の見送りを受けて7時30分に出発する。
ヨクサム1785mの町を通り抜け、ゾッキョや馬の糞尿に溢れた道を歩く。ゴミも捨て放題である。
しかし、ここシッキムは人が溢れるデリーとはほど遠く、人も少なく空気はさわやかである。
1日目の草花、名前はわからない。
約1000mを登り、16時過ぎにテント場バッキム2750mに着く。
11月5日、今日の行程は18kmで2750mから4030mのゾングリまで約9時間1300mの登りだ。
バッキムを7時に出発して9時10分ツォカ3005mに着く。回りが開けて山並みが見える。
真ん中の山がジョプヌー5842mで左の雲の中にパンデムとテンジンカンがあるのだが。
登山道ではゾッキョが通るたびに、道のわきへ避難してやりすごす。
ツォカから更に登り、12時45分ピッタンで昼食をとる。
やがて尾根に出てトラバース道を行くとゾングリに着く。
キャンプサイトはゾングリの小屋から更に15分程登った草原に張られていた。16時30分着。
11月6日、4時30分にテントを出てゾングリビューポイント4250mへ登る。5時30分ビューポイントに着く。
左から西峰ヤルンカン8505m、主峰8586m、中央峰8482m、南峰8476m
ビューポイントでサーダーと。
6時10分ビューポイントを後にする。
6時35分テント場に帰ってきた。後ろに見える丘4250mがビューポイントだ。
9時にテント場を出てゾングリ峠4550mへ向かう。途中で登山学校の訓練生大勢とすれ違う。
尾根に出たところからテント場ゾングリを振り返る。ビューポイントの丘も見えている。
尾根を巻き込む地点からゾングリ峠を望む。
ゆるやかな登りを歩きゾングリ峠に10時50分到着、皆より15分程遅れてしまう。
ゾングリ峠から北にラトンからカブル―、タルンそしてカンチェンジュンガへと続く大きなカールが広がっていた。
15時45分にキャンプサイトに帰ってきた。残念ながら肺上葉切除のハンディは、高度を上げる都度ますますでてくる。下りでは皆と同様に歩けるが登りでは息が続かず遅れてしまう。3000ccのエンジンに軽四の空気取り入れ口がついている車体だ。空気濃度が65%程の3400m付近まではなんとかついていけるが、そこから上は残念ながら目に見えて遅れてしまう。
パンディム6691m夕日に染まる。
パンディム、テンジンカン、ジョプノー、ロッキーマウンテン(ネームレス)
キッチンテント、赤いポットはお湯で、お茶に梅茶、コーヒー、ココアが用意され、後でヤカン入ったブラックティが出る。
日々、我々の口にあうよう工夫された料理が出された。
11月7日、ゾングリを8時に出発してパンディムの山並みを眺め、最終キャンプ地のラム二4100mへ向かう。
少し行くとカチェンジェンガが見えてきた、サーダー28歳とタシシェルパ29歳、タシさんはエベレスト、ローツェ、K2、カチェンジェンガ2回、チュオユーを登ったシェルパだとのことだ。ネパールやシッキムにはタシさんのように8000mを登ったシェルパは何人いるのだろう?
無名峰、まとめてロッキーマウンテンとサーダーは言っていた。
目の下の谷へ300m程下る。下った所がコクチュン3650mだ。
谷は明るく広い。ゆるやかな登りをのんびりと進む。
やがて大きなカールとなり草原が広がる。
更に進みラムニに近づくと、カンチェンジェンガが姿をあらわす。
小屋のある場所から15分程進んだ所にテントが張られていた。夕日に輝くまわりの山々は大きく偉大だ。
今日は15時前にテント場につき、明日に備へて早めに休む。
体調良い、昨日はゾングリ峠4550mにも登り高度順化もしているので、なにも問題はない。
11月8日、ゴーチャ峠往復10時間の朝が来た。2時50分にキャンプサイトを出る。ゆるやかな登りを歩くが、おかしい、すぐに息が上がり苦しい、皆との距離がずんずん開く。へッドランプの明かりを追いかけ懸命に歩くが、スピードが益々おちる。変だなと思い頑張るが、息が続かなくなりとうとう立ち止まってしまった。これじゃビューポイントすらいけないのではと焦るがどうにもならない。近づいてきたツアーリーダーから「村田さん下見すぎですよ。それじゃ酸素が入りませんよ。」とのアドバイスがあった。そこから皆が休憩している所まで、残念だが20分程ツアーリーダーにザックを持ってもらって空身で登った。
サーダーから「これじゃ4時間かかってしまう。」「パーティを3つに分けて進む。」等の協議がなされ登山を再開した。
私も皆の足を引っ張って巻き添えにするのは申し訳ないので、其のことを納得了解した。私はタシさんと二人で最後尾を歩く。ツアーリーダーのアドバイスどうり、足元のヘッドランプの明かりから時々目線をはずして背筋を伸ばして歩くと、目の下の光のみを見ている時と違って調子が上がってきた。同時に呼吸と歩きを合わすこともできだした。やがて2番手を行くYさんとサーダーに追いつき、追い越して自分のリズムで進むと徐々に先頭集団が近づき、やがてビューポイント手前で追いついた。5時20分ビューポイント着。サーダーが近づいてきて「ゼーゼーゼー!ゼ―ゼーゼー!」と私の真似をして笑わせてくれる。
ビューポイントからの眺め。
ビューポイントで、さっきまで「ゼーゼーゼー」と息がはずみ苦しんでいた私だが調子が良くなったので、ゴーチャへ行きたいとは無茶な願いかと思いつつ、諦められないのでツアーリーダーに「ゴーチャ峠まで行きたい。」とお願いしてみた。リーダーは「うーん。」と少し考えてから「随分調子が良くなったことだし、村田さん、もしも途中でリタイアの場合は絶対にその場所を動かないと約束してくださいね。」との話があり、それを了解して行けることとなった。
6時5分にビューポイントを下り、カールの底を進む。
ナイフピーク
枝尾根に小さな岩峰がいくつもある。もって帰れたら人気ルートが沢山できることだろう。
ON隊長のリズムで私も遅れることもなく順調に登ってきた。8時30分ゴーチャ峠まで今少しだ。
8時40分ゴーチャ峠着、ビューポイントから2時間35分。
真っ白いカンチェンジュンガの南壁、南峰頂上8476m、壁の取りつきは峠より下だ。推測だが壁の高差は4000m近いのではないのだろうか、ここから見えないが下部末端も岩壁のようである。そして中間岩壁、その上には2段のセラック帯があり、最上部の南峰頂上岩壁は垂直のようである。最先端の現代アルパインクライマーにしか許されない領域だ。
氷河が造った風景、モレーン、カール。
9時25分ゴーチャ峠を後にして、11時15分ビューポイントに帰ってきた。
サミティ湖を越えるとすぐがキャンプサイトである。
タルンはどれか、カブルーがどれかラトンはコクタンは?と探すが、さっぱりわからない。ナイフピークだけはわかる。
13時キャンプサイトに帰ってきた。休憩時間も入れて10時間10分だった。
ビューポイントからゴーチャ峠までは登りで少しゼイゼイいったが、大方は呼吸も楽で皆に遅れることもなくついていけた。そしてゴーチャ峠4940mではカメラを写したりするには何の問題もなかった。
今回、西遊旅行のトレッキングに参加させてもらった。肺にハンディがあるので当然診断書を求められた。診査にクリアーして参加できたのであるが、正直3400m以上では新高度ごと呼吸が激しくなり皆の速度に付いてゆけず、ツーアーリーダーとサーダーには理解してもらい支援していただいた。なんとか最終目的地に行けたことをサーダーとツアーリーダーの神谷さんに感謝している。神谷さんは25歳だがしっかりした気遣いのできる立派な青年だった。また、優しく見守ってくれた今回のトレッキング仲間に感謝である。それにトレッキング中はすべて晴天がつづきラッキーだった。
11月1日、高知を7時55分に出て10時30分に関空に着く、インド航空で13時25分に出発し香港を経由してデリーに21時35分に着いた。香港では清掃作業員のザッとした仕事ぶりに戸惑う。香港からは大勢のインドの方が乗り込まれて満席となり、体も大きれば声も大きい彼らとインド料理の機内食に異国情緒を堪能する。デリー空港に旅行社の迎えが来ており、小型バスでホテルへ向かう。ホテルの冷蔵庫は暖房入りで使用禁止だった。
11月2日
朝、デリー空港に行くとバグドグラへの飛行機は3時間遅れとのことである。それぞれ空港を散策する。商売柄私は自販機を見て回る。空港の自販機では280mlペプシが60ルピー(110円程)で販売されていた。
デリーを13時55分に飛び立ちバグドグラに向かう。機内からはヒマラヤ山脈が見えていた。大きく見える山は左からガウリシャンカ―ル、チュー・オユー、ローツエとエベレストは重なっているようで右端がマカルーだろう。
専属で雇った4WD車は、バグドグラの街並みをにぎやかに警笛を響かせ、曲芸のようなドライブテクニックを披露してガントクへと向かった。途中でトイレ休憩に立ち寄った店では、コカコーラー180ml瓶は18ルピー(35円弱)で売られてた。
巻き上げた埃でマスクか黄色くなるころ、シッキムに入った。
11月3日、かってのシッキム王国の都ガントク、ロイヤルプラザホテルの部屋から見る景色は、空気が透きとおっていて遠くまではっきりと見え、とてもさわやかだ。
9時にガントクを出てヨクサムに向かう。狭い道での対向車とのすれちがいは、譲り合いの精神はまったく無いように思える。全車只々突っ込んで行く。しかし、しばらくするとギリギリで通りぬけて行くのだから、どこかで譲り合っているようだ。
途中の町で食堂に入り昼食をとる。でてきたのはスープに焼きソバ、チャーハン、餃子であった。
11月4日、ヨクサムの朝、今日からトレッキングである。部屋から見える白い山はカブルーだろうか?
レッドパレスホテルと4WD専用車の見送りを受けて7時30分に出発する。
ヨクサム1785mの町を通り抜け、ゾッキョや馬の糞尿に溢れた道を歩く。ゴミも捨て放題である。
しかし、ここシッキムは人が溢れるデリーとはほど遠く、人も少なく空気はさわやかである。
1日目の草花、名前はわからない。
約1000mを登り、16時過ぎにテント場バッキム2750mに着く。
11月5日、今日の行程は18kmで2750mから4030mのゾングリまで約9時間1300mの登りだ。
バッキムを7時に出発して9時10分ツォカ3005mに着く。回りが開けて山並みが見える。
真ん中の山がジョプヌー5842mで左の雲の中にパンデムとテンジンカンがあるのだが。
登山道ではゾッキョが通るたびに、道のわきへ避難してやりすごす。
ツォカから更に登り、12時45分ピッタンで昼食をとる。
やがて尾根に出てトラバース道を行くとゾングリに着く。
キャンプサイトはゾングリの小屋から更に15分程登った草原に張られていた。16時30分着。
11月6日、4時30分にテントを出てゾングリビューポイント4250mへ登る。5時30分ビューポイントに着く。
左から西峰ヤルンカン8505m、主峰8586m、中央峰8482m、南峰8476m
ビューポイントでサーダーと。
6時10分ビューポイントを後にする。
6時35分テント場に帰ってきた。後ろに見える丘4250mがビューポイントだ。
9時にテント場を出てゾングリ峠4550mへ向かう。途中で登山学校の訓練生大勢とすれ違う。
尾根に出たところからテント場ゾングリを振り返る。ビューポイントの丘も見えている。
尾根を巻き込む地点からゾングリ峠を望む。
ゆるやかな登りを歩きゾングリ峠に10時50分到着、皆より15分程遅れてしまう。
ゾングリ峠から北にラトンからカブル―、タルンそしてカンチェンジュンガへと続く大きなカールが広がっていた。
15時45分にキャンプサイトに帰ってきた。残念ながら肺上葉切除のハンディは、高度を上げる都度ますますでてくる。下りでは皆と同様に歩けるが登りでは息が続かず遅れてしまう。3000ccのエンジンに軽四の空気取り入れ口がついている車体だ。空気濃度が65%程の3400m付近まではなんとかついていけるが、そこから上は残念ながら目に見えて遅れてしまう。
パンディム6691m夕日に染まる。
パンディム、テンジンカン、ジョプノー、ロッキーマウンテン(ネームレス)
キッチンテント、赤いポットはお湯で、お茶に梅茶、コーヒー、ココアが用意され、後でヤカン入ったブラックティが出る。
日々、我々の口にあうよう工夫された料理が出された。
11月7日、ゾングリを8時に出発してパンディムの山並みを眺め、最終キャンプ地のラム二4100mへ向かう。
少し行くとカチェンジェンガが見えてきた、サーダー28歳とタシシェルパ29歳、タシさんはエベレスト、ローツェ、K2、カチェンジェンガ2回、チュオユーを登ったシェルパだとのことだ。ネパールやシッキムにはタシさんのように8000mを登ったシェルパは何人いるのだろう?
無名峰、まとめてロッキーマウンテンとサーダーは言っていた。
目の下の谷へ300m程下る。下った所がコクチュン3650mだ。
谷は明るく広い。ゆるやかな登りをのんびりと進む。
やがて大きなカールとなり草原が広がる。
更に進みラムニに近づくと、カンチェンジェンガが姿をあらわす。
小屋のある場所から15分程進んだ所にテントが張られていた。夕日に輝くまわりの山々は大きく偉大だ。
今日は15時前にテント場につき、明日に備へて早めに休む。
体調良い、昨日はゾングリ峠4550mにも登り高度順化もしているので、なにも問題はない。
11月8日、ゴーチャ峠往復10時間の朝が来た。2時50分にキャンプサイトを出る。ゆるやかな登りを歩くが、おかしい、すぐに息が上がり苦しい、皆との距離がずんずん開く。へッドランプの明かりを追いかけ懸命に歩くが、スピードが益々おちる。変だなと思い頑張るが、息が続かなくなりとうとう立ち止まってしまった。これじゃビューポイントすらいけないのではと焦るがどうにもならない。近づいてきたツアーリーダーから「村田さん下見すぎですよ。それじゃ酸素が入りませんよ。」とのアドバイスがあった。そこから皆が休憩している所まで、残念だが20分程ツアーリーダーにザックを持ってもらって空身で登った。
サーダーから「これじゃ4時間かかってしまう。」「パーティを3つに分けて進む。」等の協議がなされ登山を再開した。
私も皆の足を引っ張って巻き添えにするのは申し訳ないので、其のことを納得了解した。私はタシさんと二人で最後尾を歩く。ツアーリーダーのアドバイスどうり、足元のヘッドランプの明かりから時々目線をはずして背筋を伸ばして歩くと、目の下の光のみを見ている時と違って調子が上がってきた。同時に呼吸と歩きを合わすこともできだした。やがて2番手を行くYさんとサーダーに追いつき、追い越して自分のリズムで進むと徐々に先頭集団が近づき、やがてビューポイント手前で追いついた。5時20分ビューポイント着。サーダーが近づいてきて「ゼーゼーゼー!ゼ―ゼーゼー!」と私の真似をして笑わせてくれる。
ビューポイントからの眺め。
ビューポイントで、さっきまで「ゼーゼーゼー」と息がはずみ苦しんでいた私だが調子が良くなったので、ゴーチャへ行きたいとは無茶な願いかと思いつつ、諦められないのでツアーリーダーに「ゴーチャ峠まで行きたい。」とお願いしてみた。リーダーは「うーん。」と少し考えてから「随分調子が良くなったことだし、村田さん、もしも途中でリタイアの場合は絶対にその場所を動かないと約束してくださいね。」との話があり、それを了解して行けることとなった。
6時5分にビューポイントを下り、カールの底を進む。
ナイフピーク
枝尾根に小さな岩峰がいくつもある。もって帰れたら人気ルートが沢山できることだろう。
ON隊長のリズムで私も遅れることもなく順調に登ってきた。8時30分ゴーチャ峠まで今少しだ。
8時40分ゴーチャ峠着、ビューポイントから2時間35分。
真っ白いカンチェンジュンガの南壁、南峰頂上8476m、壁の取りつきは峠より下だ。推測だが壁の高差は4000m近いのではないのだろうか、ここから見えないが下部末端も岩壁のようである。そして中間岩壁、その上には2段のセラック帯があり、最上部の南峰頂上岩壁は垂直のようである。最先端の現代アルパインクライマーにしか許されない領域だ。
氷河が造った風景、モレーン、カール。
9時25分ゴーチャ峠を後にして、11時15分ビューポイントに帰ってきた。
サミティ湖を越えるとすぐがキャンプサイトである。
タルンはどれか、カブルーがどれかラトンはコクタンは?と探すが、さっぱりわからない。ナイフピークだけはわかる。
13時キャンプサイトに帰ってきた。休憩時間も入れて10時間10分だった。
ビューポイントからゴーチャ峠までは登りで少しゼイゼイいったが、大方は呼吸も楽で皆に遅れることもなくついていけた。そしてゴーチャ峠4940mではカメラを写したりするには何の問題もなかった。
今回、西遊旅行のトレッキングに参加させてもらった。肺にハンディがあるので当然診断書を求められた。診査にクリアーして参加できたのであるが、正直3400m以上では新高度ごと呼吸が激しくなり皆の速度に付いてゆけず、ツーアーリーダーとサーダーには理解してもらい支援していただいた。なんとか最終目的地に行けたことをサーダーとツアーリーダーの神谷さんに感謝している。神谷さんは25歳だがしっかりした気遣いのできる立派な青年だった。また、優しく見守ってくれた今回のトレッキング仲間に感謝である。それにトレッキング中はすべて晴天がつづきラッキーだった。
- 2014.11.19 Wednesday
- トレッキング
- 09:42
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- by K.G.R.OB